2012年2月25日土曜日

武田神社



武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社であるのである。

躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄公を御祭神とし、創建は大正8年(1919年)で、旧社格は県社であるのである。

なにしろご祭神が武田信玄公であるので、主たるご利益はもちろん必勝祈願成就であるわけである。

それで、そうとう厳しい霊気神気を予想して神社を参拝してみると、これが意外や意外でのんびりとした波動であるのである。

まあ、どうも、これ、いってみればどこの神社も大なり小なりそうであるが、最近はやっぱり、切実な祈願で訪れる人よりは、物見遊山の観光客がほとんどであるだろうから、その想念の集積で境内には低い周波数の気が満ちることとなるわけである。

まあ、これ、テレビの旅番組の影響で、各地の神社仏閣は観光のついでてな参拝が多いので、必然的に極楽気分の波動が満ち溢れるわけである。

あたしもテレビ番組を見てのいきなりの参拝であるので、もちろん、必勝祈願もなにもあるわけもないので、物見遊山観光気分満載の波動で神社の霊気神気の波動の周波数をさらによろしい方向に向けるわけである。

その波動をあますところなく映し撮るために参道入口の鳥居から本殿拝殿までじっくりと歩いて見たわけであるが、まあ、この霊気神気を受けるも受けないも、あなたがこの動画の中に入り込んで象師匠になれるかどうかにその如何(いかん)があるわけである。

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2012年2月19日日曜日

下谷摩利支天・徳大寺



徳大寺(とくだいじ)は、東京都台東区上野4丁目アメヤ横丁の商店街の中にある日蓮宗の寺院であるのである。

山号は妙宣山で、本尊は大曼荼羅であるのである。

開運摩利支天を祀ることから一般的には下谷の摩利支天山(さん)とも称され、親師法縁であるのである。

法縁とは日蓮宗檀林の指導的学僧や地名に由来するいわゆる学閥であるのである。

周囲を商店に囲まれた環境の中で立体構造型の特異な寺院様式を呈しており、参道上にアメ横周辺では異色の空間といえる境内が広がるのかと思うと、まあ、実際に行ってみると、周辺の下町の商店街に溶け込んで実によろしい雰囲気であるのである。

正午や夕暮れ時の商店街に響きわたる鐘の音は、徳大寺の鐘楼堂によるものであるそうであるが、残念ながらあたしは聞くことができなかったのである。

目の前にはニキニキニキニキ二木の菓子があって、なかなかオツなお寺であるのである。

まあ、考え様によってはアメ横も含めたこの周囲の商店街の全部がこの寺院の門前町てな見方もできるので、お楽しみはつきないお寺さんであるのである。

この動画はアメ横で昼飯を食ったついでの参拝の写真を編集したものであるが、なにしろ大霊能気功家象師匠の眼であるわけであるので、放出される気の威力は鮮烈痛烈激烈で、その波動は南無妙法蓮華経の威力と合わせてあなたの細胞を霊気神気で潤すのであるが、それもこれもあなたの脳神経細胞ニューロンシナプスの受容体の開き具合如何であるのはいうまでもないことであるのである。

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2012年2月14日火曜日

高幡不動尊・金剛寺



金剛寺(こんごうじ)は、東京都日野市高幡にある真言宗智山派別格本山の寺院であるのである。

高幡不動の通称で知られ、本尊は象気功でもお馴染みの、不動心養成真言「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」の不動明王であるのである。

寺号は高幡山明王院金剛寺と称するのであるのである。

まあ、なにしろ不動尊つーだけに、大霊能気功家象師匠がこよなく愛する不動明王真言の元締めであるので、そらもう、毎日、参拝ご挨拶に訪れなければならないわけであるが、そこはそれ、わかっちゃいるけどやめられない遊びをせんとや生れけむ戯れせんとや生れけんあなたもあたしもあれが好きとゆーことで、年に何回かのお参りつーことになるバチあたり焦熱地獄でまる焦げ唐揚げじゅーしーちきんであるのである。

ううむ、今日は快調だな。

昨日は忙しくてコーヒーを何杯も飲む暇がなかったから、オツムがお休みしてパフォーマンス回復修復絶好調となったのかね、ううむ、どーでもいい。

うううううううのうううううううううのう、せっかく絶好調なのにメッセンジャーがペケポンとなって知人と1時間チャットしたらば、脳がすっかりわやくちゃになってしまって、あああ、あたしの人生はどうしてこんなんなんだろうかとお嘆き遊ばして、くそー、こうなったらドリンク剤とマルチビタミンとアリナミンAとコーラをいっぺんに飲んでやると、飲んだらああ気持ち悪い。

まあ、チャットは音声通話と違って、当たり前であるが指を限りなく早く動かすので実に脳が活性化されるが、これが、その分脳神経細胞が破壊されて、すっかり気力体力消耗で、ばかあほまるだしであるのであるってなんだこりゃええ?これもし誰か読んでたらなかったことにしてくれませんか。

まあ、そんなこんなで、なにがそんなこんななのかわからんが、とにもかくにも我が不動明王がおわします聖地メッカ天国極楽三途の川からこんにちはの高幡不動尊に「火防守」の御札をいただきにきたのである。

その御札は霊能グルメレポートブログ「象さんのご飯」の「オレンジ&クリームティーとクッキー&クリームモカを飲む」に貼ってあるのであるので、お好きな方は暇つぶしに見に行って、「おお!これが象師匠ご推薦の高幡不動尊の御札かあああっ、ありがたいありがたい」と力の限りおもいっきり拝んで願って頼んでご利益仏罰神罰に見舞われて人生をお楽しみいただきたい。

それで、この動画は象師匠自らが、高幡不動尊・金剛寺の境内を仁王門からお入りになって、鳳倫閣、不動堂、五重塔を左に見て、奥殿、大日堂までお歩きになって撮影したカンヌ出品をも視野に入れなんとするフルHD大作であるので、象師匠の眼でありいわば象師匠そのものであるので、高幡不動尊の独特の陽気で華やいだ豪爽剛毅絢爛たる霊気神気とともに、象師匠の体内胎内五臓六腑胎蔵界金剛界の波動を直に受けることができるありがたーい霊場めぐりであるのである。

さらに、動画後半では不動堂での般若心経大合唱も味わえるので、その波動も合わせて細胞の素粒子クォークの振動に取り込みご堪能いただいて、あなたの波動を天空に誘(いざな)い、次元上昇アセンションの一助介助介護保険としていただきたい。

ははは、次元上昇アセンションって、しかし、しょーがねーな、まあいいや。

いっときますが、霊場って墓地のことじゃありませんよ。

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2012年2月8日水曜日

報徳二宮神社



報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)は、神奈川県小田原市にある二宮尊徳を祀る神社であるのである。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっているのであるのである。

ううむ、じーえっくすあーるA12はしーもすがだめなのかなんなのか、これ、動画がまるっきりだめだな。

手ブレ補正なんか付いてるわけもないし、わーむが出るだのなんだのじゃなくて、もうこれわーむだらけだね。

まあ、これ、写真を写真らしく撮るためにーでもないこーでもないと開発された機種で、かの森山大先生なんかもご愛用で、ムービーがどーのこーのゆーやつはこんなマニアックなおカメラをお買いになるはずもないだろうから、まあ、動画機能は付いてるだけてなことがよーくわかるのである。

まあ、いいや、てなことで、スタビライザーをかけて、なんとか見れるようにいたしましたが、とにもかくにも主祭神は動画の途中にもちらりと銅像が映ってる二宮尊徳翁であるのである。

二宮尊徳翁は報徳社を設立して農村の救済・教化運動を行っておられましたが、尊徳翁が安政3年(1856年)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていたのであるのである。

その後、明治24年(1891年)に尊徳翁に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳翁を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894年)4月15日、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座したのであるのである。

まあ、尊徳翁といえば、ご存知ように薪(たきぎ)を背負って歩きながらも本を読んでお勉強したという、お勉強マニア垂涎のお勉強の神様みたいな人であるので、もちろん、そのまんま神様として祀られることになったわけである。

まあ、尊徳翁がかなり最近の人であるので、人が神様になっちゃうのかよおいおい、と勘違いする向きもないではないと思いますが、まあ、神様の元を辿るとほとんどがこの手のエライ人を祀ったもんであるのである。

まあ、お勉強マニアにお馴染みの菅原道真を祀った各地の天満宮や、大御所では家康公を祀った日光東照宮てなもんも、皆さん、実在の人物で、それにあやかりたいあやかりたいとゆーことで、神様としてお祀り申し上げたわけであるのである。

つまり、神様、神社のご利益てなもんはこの「あやかりたいあやかりたい」てなことであるわけである。

しかし、これ、「あやかりたい」と願うとあやかれないのである。

ここがね、神様のなかなかイキでイナセな心意気であるのである。

いい学校に入れますようにだとか、いい会社に入れますようにだとか、お金持ちになれますようにだとか、いい人に出会えますようにだとか、なんでもいいからいいことがありますようにだとか、「お願い」をすると手厳しい厳罰を持ってお答えになるのである。

つまり、神様は頼られるのが鬱陶しくて嫌いなのである。

「ああ、うるさいやかましい、あっち行け、このゴミどもが!」つーことであるわけである。

ところがそんな祀り上げられておだてられて頭に乗ってるわがままな連中、いや、仮にも神様に向かって連中とは失礼こきました、そんなやつら、ううう、さらに失礼ぶっこきました、くそー、そんなやから、こらこら、やからって、いくらんなんでも神様はコンビニの前にたむろしてないだろ、なんてえのかその、あれですよ、ううむ、ちょっとコーヒーを飲んで休憩。

まあ、とにもかくにも、一方的に売り手市場のわがままな皆さんでありますから、おだてるしかないわけである。

「おやかりたいあやかりたい」ではなく、たーだひたすら「ありがたいありがたい」と一方的に感謝感激雨あられの謝礼謝恩の速射砲連打であるのである。

そーすると、そらいくらわがままあんたが大将の神様だってやな気はしませんから、「おお、中々ういやつじゃ、ひとつアメちゃんのひとつでも進ぜようではないか」てなお気持ちになるわけである。

まあ、この報徳神社には小田原城物見遊山のついでに立ち寄ったというとさらに失礼であるが、とにもかくにも、ご参拝申し上げて、「ありがたいありがたい」とお礼の大音声絶叫を声に出すのは他の参拝者に大迷惑であるので、心の中でこれでもかと喚いて、「ああ、これであたしの霊能力もさらにアップで、象気功読者はパワースポットとしての象気功を堪能できるじゃありませんか、よかったよかった」と安堵安心安寧の心持ちでさっさと帰ったのである。

まあ、この動画からは尊徳翁のものごとに対する真摯な姿勢から醸し出される清浄な気が怒涛の勢いで溢れ出てくるわけであるが、それを受ける受けない成就拒絶はあなたのカルマのなせる方向性であるのである。

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