2012年2月8日水曜日

報徳二宮神社



報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)は、神奈川県小田原市にある二宮尊徳を祀る神社であるのである。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっているのであるのである。

ううむ、じーえっくすあーるA12はしーもすがだめなのかなんなのか、これ、動画がまるっきりだめだな。

手ブレ補正なんか付いてるわけもないし、わーむが出るだのなんだのじゃなくて、もうこれわーむだらけだね。

まあ、これ、写真を写真らしく撮るためにーでもないこーでもないと開発された機種で、かの森山大先生なんかもご愛用で、ムービーがどーのこーのゆーやつはこんなマニアックなおカメラをお買いになるはずもないだろうから、まあ、動画機能は付いてるだけてなことがよーくわかるのである。

まあ、いいや、てなことで、スタビライザーをかけて、なんとか見れるようにいたしましたが、とにもかくにも主祭神は動画の途中にもちらりと銅像が映ってる二宮尊徳翁であるのである。

二宮尊徳翁は報徳社を設立して農村の救済・教化運動を行っておられましたが、尊徳翁が安政3年(1856年)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていたのであるのである。

その後、明治24年(1891年)に尊徳翁に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳翁を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894年)4月15日、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座したのであるのである。

まあ、尊徳翁といえば、ご存知ように薪(たきぎ)を背負って歩きながらも本を読んでお勉強したという、お勉強マニア垂涎のお勉強の神様みたいな人であるので、もちろん、そのまんま神様として祀られることになったわけである。

まあ、尊徳翁がかなり最近の人であるので、人が神様になっちゃうのかよおいおい、と勘違いする向きもないではないと思いますが、まあ、神様の元を辿るとほとんどがこの手のエライ人を祀ったもんであるのである。

まあ、お勉強マニアにお馴染みの菅原道真を祀った各地の天満宮や、大御所では家康公を祀った日光東照宮てなもんも、皆さん、実在の人物で、それにあやかりたいあやかりたいとゆーことで、神様としてお祀り申し上げたわけであるのである。

つまり、神様、神社のご利益てなもんはこの「あやかりたいあやかりたい」てなことであるわけである。

しかし、これ、「あやかりたい」と願うとあやかれないのである。

ここがね、神様のなかなかイキでイナセな心意気であるのである。

いい学校に入れますようにだとか、いい会社に入れますようにだとか、お金持ちになれますようにだとか、いい人に出会えますようにだとか、なんでもいいからいいことがありますようにだとか、「お願い」をすると手厳しい厳罰を持ってお答えになるのである。

つまり、神様は頼られるのが鬱陶しくて嫌いなのである。

「ああ、うるさいやかましい、あっち行け、このゴミどもが!」つーことであるわけである。

ところがそんな祀り上げられておだてられて頭に乗ってるわがままな連中、いや、仮にも神様に向かって連中とは失礼こきました、そんなやつら、ううう、さらに失礼ぶっこきました、くそー、そんなやから、こらこら、やからって、いくらんなんでも神様はコンビニの前にたむろしてないだろ、なんてえのかその、あれですよ、ううむ、ちょっとコーヒーを飲んで休憩。

まあ、とにもかくにも、一方的に売り手市場のわがままな皆さんでありますから、おだてるしかないわけである。

「おやかりたいあやかりたい」ではなく、たーだひたすら「ありがたいありがたい」と一方的に感謝感激雨あられの謝礼謝恩の速射砲連打であるのである。

そーすると、そらいくらわがままあんたが大将の神様だってやな気はしませんから、「おお、中々ういやつじゃ、ひとつアメちゃんのひとつでも進ぜようではないか」てなお気持ちになるわけである。

まあ、この報徳神社には小田原城物見遊山のついでに立ち寄ったというとさらに失礼であるが、とにもかくにも、ご参拝申し上げて、「ありがたいありがたい」とお礼の大音声絶叫を声に出すのは他の参拝者に大迷惑であるので、心の中でこれでもかと喚いて、「ああ、これであたしの霊能力もさらにアップで、象気功読者はパワースポットとしての象気功を堪能できるじゃありませんか、よかったよかった」と安堵安心安寧の心持ちでさっさと帰ったのである。

まあ、この動画からは尊徳翁のものごとに対する真摯な姿勢から醸し出される清浄な気が怒涛の勢いで溢れ出てくるわけであるが、それを受ける受けない成就拒絶はあなたのカルマのなせる方向性であるのである。

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