2012年8月31日金曜日

引手力命神社



引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ、ひきたぢからのみことじんじゃ)は、静岡県沼津市西浦江梨の大瀬崎(おせざき)にある神社であるのである。

まあ、大瀬崎にあることから大瀬神社(おせじんじゃ)と呼ばれることが多く、他に大瀬明神(おせみょうじん)などとも称されるのであるのである。

祭神は引手力命(ひきたぢからのみこと)とされているが、全国の主な式内社とされる神社でこの名前の神を祀るものは他に見られないのである。

これを古事記や日本書紀にも登場する天手力雄(男)命(あめのたぢからおのみこと)に比定する(同質のものがない場合に他の類似のものと比較して、そのものがどういうものであるかを推定すること)説もあるが、一般に天手力雄(男)命が山の神とされているのに対して引手力命は海の守護の神であるので、必ずしも定かではないのであるのである。

詳細な創建時期は不明であるが、白鳳13年(684年)に発生した大地震に伴って海底が突然三百丈余も隆起して「琵琶島(びわじま)」と呼ばれる島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々がここに引手力命を祀ったのが最初、とも言われる説があるのである。

「琵琶島」はやがて砂洲の形成により陸繋島(りくけいとう)となり大瀬崎となったのである。

つーことで、今年第二回目の象気功海水浴開催地である大瀬海水浴場から大瀬崎の方を見ると、なにやらただならぬ気配霊気神気が漂ってくるのである。

それで、目を凝らして見てみると、突端の少し前あたりに鳥居が見えるのである。

「おお!なんと鳥居があるではないか、ああ、この海水浴場にいざなわれたのはあそこに鎮座する神の引き寄せであったか、ううむ、かなり距離があるが、ここはひとつ、何が何でもお参りしなければ神の使い大霊能者象師匠のあそことこことあのへんががすたる」

つーことで、てくてく歩いて参拝に及んだのである。

海水浴場からダイビングショップのならんだ海岸通りを大混雑のダイバーのおにーさんおねーさんの間を抜けていくと10分ぐらいの距離であるのである。

動画の冒頭でもごらんの通り、神社前の海は日本の海とは思えないぐらいの透明度であるのである。

しかしその美しい海も機嫌をそこねると荒れ狂って手が付けられなくなるのであるから、それを鎮めるために祀られているわけである。

人間の叡智を超えたものには神頼みつーことであるのである。

さて、その神頼みのための本殿拝殿までけっこうな段数の石段を上がってたどり着くと、これが意外や意外の爽やかて落ち着いた波動であるのである。

そらそうである。

創建のいわれはともかく、この神社に参拝する海に生きる皆さんの願いからいえば、ときどき機嫌を損ねて荒れ狂う海を鎮めるための神社であるから、「まあまあ、そんなに怒らんといてーな」つー、ううむ、なんで関西弁なのかわからんが、まあ、とにかくおだやかな性格の神でないと海神ともめて、さらにてんやわんやの大暴風雨になってなんのこっちゃになるわけである。

さてさて、参拝を滞りなく終えて、身体の細胞が隅々までいきいきと蘇る海の波動に加えてこの神社の爽やかな霊気神気に洗われて、都会生活で荒んだあたしの魂もきれーきれーになったのである。

きれーきれーってほかになんか言い方はなかったのかね。

まあ、そんなこんなで海の波動と引手力命の爽やかで落ち着いた霊気神気を受けてあなたの魂もお浮世の身過ぎ世過ぎで汚れきったあなたの魂をお洗濯していただきたい。

まあ、それもこれも、あなたの神が波動を受け入れる用意があるかないかであるのであるが、まあ、それもこれも神の思し召し神意であるわけである。

スピリチュアル   精神世界