2013年4月25日木曜日

伊勢神宮(内宮)宇治橋



宇治橋(うじばし)は、三重県伊勢市にある伊勢神宮(内宮・皇大神宮)の参道口にある高欄付き木造の和橋(わきょう)で、別名を御裳濯橋(みもすそばし)つーのであるのである。

橋梁工学の専門家である大阪市都市工学情報センター理事長の松村博さんがそのご著書で言い張る日本百名橋(にほんひゃくめいきょう)のひとつであるつーことである。

まあ、日本三大橋とかなら把握できるのであるが、百って、しかし、多すぎるだろなんてツッコミをいれてはいけませんのである。

日本百名山だの日本百名城だの日本百名道だの、はては日本百名居酒屋てなものまであって、日本人はとにかく百なんとかが好きであるのである。

その百なんとかをぐるぐる回ってお楽しみなにる暇人いや失礼、ご酔狂なご趣味の皆さんもたーくさんおられるので、それをあーだのこーだのと言うのは的外れであるのであるが、どんどん着地点も帰り道も見えなくなって行くので、どーすんだよこれは。

宇治橋は長さ101.8m、幅8.42mで、橋の両側に神明鳥居があるのである。

神明鳥居とは鳥居の形式のひとつで、2本の円柱の上に円柱状の笠木(かさぎ)をのせ、下に貫(ぬき)を入れた直線的な鳥居のことで、神明造りの神社に多く用いられるのである。

神明神社(しんめいじんじゃ)とは、天照大神を主祭神とし、この伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であるのである。

つまり、神明神社の元締めである伊勢神宮の神域をわける川である五十鈴川にかかっているのが宇治橋で、その両側に神明鳥居があるわけである。

五十鈴川に架けられたこの橋は、だいたい100メートルであるので100メートル競争をするには最適であるのであるが、まあ、たいしてネタが広がりそうもないのでやめるのである。

神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域(神が宿るとされる聖域)ではなく神苑(直接神社の宗教的関係ある本殿や摂末社、社務所あるいはお旅所等がある地域と、これに接続する苑地や林地の一帯)であるが、崇敬者・参拝者・伊勢神宮マニアの間では、通常、神域として扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある聖俗を分ける橋」とされるのである。

明治以降は神宮式年遷宮にあわせて架け替えられていたのであるが、いろいろな経緯を経て現在は20年ごとの神宮式年遷宮の4年前に架け替えられるようになったのあるのである。

橋の両側の神明鳥居の高さは7.44mで、外側(外)の鳥居は、外宮古殿の棟持柱(むなもちばしら)の古材から、内側(内)は内宮古殿の棟持柱の古材から作られる昨今のエコの時代にも適応したリサイクル鳥居でもあるのである。

明治以降、これらの鳥居が建て替えられると外の鳥居は三重県桑名市桑名宿の七里の渡しで、内の鳥居は鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分で、それぞれ神宮遙拝用の鳥居に20年間使用されているという地球資源を限りなく無駄にしない再リサイクル鳥居でもあるつーことであるので、さすがは神の中の神である天照大御神を主祭神とするだけあって、世界の環境対策に古来より余念がなかったわけである。

宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられており、西岸から東岸を見た場合は約30度南を向いているのであるが、そんなこまかいこたあ、渡るあたしらにはわからないので、どーでもいいのであるが、一応書いておくのである、こらこらやめなさいって、ううう、誰か助けてくれ。

宇治橋の東側には島路山(しまじやま)があり、日の出は島路山からとなり、このため日の出が南寄りからとなる冬至を中心とする約2か月の間は宇治橋の鳥居の間からの日の出となるつーことであるので、お好きな方は冬至の時期に伊勢神宮に行って「ほほう、なるほど、ほんとに鳥居の間からご来光が見える、ああ、ありがたいありがたい」と感激していただきたいわけである。

まあ、撮れ高OKのカンペがとっくに出てるのに、ぐだぐだとどーでもいいことまで打ち綴って、ひとりよがりの霊能参拝おつむはぴーひゃららであるのである。

そのぴーひゃららをご堪能した方はさらに霊能修行を遂行するために、俗界のあれやこれやの汚れ穢れを五十鈴川に流して宇治橋を渡ってその先にある聖界の深遠を拝謁して頂きたい。

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