2013年4月29日月曜日

伊勢神宮(内宮)荒祭宮



荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある伊勢神宮内宮(皇大神宮)の境内別宮であるのである。

祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)であるのである。

祭神の天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)はその名の通り天照大神の荒魂で、804年(延暦23年)の「皇太神宮儀式帳」において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、927年(延長5年)成立の「延喜式」において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されているつーことであるが、マニアック過ぎていったいなんのことなのか意味がさっぱりわからんのであるが、もしかしたら神社神道マニアの皆さんには興味津々のことであるかもしれないのであるので、さらに荒御魂について解説してしまうのである。

神道における神の霊魂の概念には、荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま・にぎたま、にきみたま・にぎみたま)という二つの側面のがあるのである。

荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きであるのである。

つまり神の祟りは荒魂の表れである。

それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面であるのである。

つまり神の加護は和魂の表れであるのである。

荒祭宮は内宮正宮北方にあるのであるが、別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされるのである。

荒祭宮は「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説であるのである。

天照大御神の荒御魂である天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされるのである。

そんなこんなで、荒祭宮は他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行なわないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれるつーことあるのであるが、あたしゃ神御衣祭に参加する予定もないのでどーでのいいのであるがこれも一応言っとくのである。

参拝順序としては内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める下幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮があるのであるが、そんなこたあわざわざ説明しなくても動画を見れば一目瞭然であるつーことも一応言っとくのである。

この時に降りる石段には四つに割れ「天」の字のように見える石があるのであるが、この石は「踏まぬ石」と呼ばれ、避けて通らなければならないとされるのであるが、あたしゃそんこたあぜんぜん知らなかったのでおもいっきり踏んづけたかもしれないのである。

言い伝えでは、踏まぬ石は天から降って来てなホラを吹いてるのであるが、どーだかこーだか定かではないと当たり前のこともおっしゃてるのである。

荒祭宮に参拝できない場合のため、籾種石の近くに石畳の荒祭宮遥拝所てな親切な場所が設けられているのであるが、もちろんそんなこたあ知らなかったのでどこだかわからんかたのである。

あたしは物見遊山の観光では下調べはいっさいせずに行き当たりばったりの出たとこ勝負であるので、なにがなんがかわからんうちに粛々として日程が終了するのが常であるのである。

人生も観光も行き当たりばったりであるのが、象源流であるのである。

下調べをしたら面白いものも面白くなくなるのである。

ハプニングの連続を楽しむのが人生つーもんであるのである。

言いたい放題であるのである。

籾種石は、天明年間の第51回内宮式年遷宮(1781年-1789年)に、楠部郷(現在の伊勢市楠部町)の住民が五十鈴川上流から苦労して運び奉納した石と伝えられているのである。

この時、農作業よりも石の運搬を優先したため食料不足に陥り、籾を食べるしかなくなったことから籾種石と名の由来となったつーことであるが、ここでの五十鈴川は、現在の五十鈴川本流ではなく現在の島路川であろうてなことであるのであるがあろうであるので定かではないのかも知れないつーこともひとこと付け加えておくのであるのであるがどーでもいいからやめろといわれても指が止まらないのであるが神のお告げの御筆先であるのであたしの責任ではないのであるし文責も神にあるのであたしはいっさい責任をとらないのであしからずご了承いただきたいのであるうううびょーきかなこれは絶対にどこかおかしいのである。

御稲御倉は御稲御倉神を祀る内宮所管社で、神宮神田で収穫された稲を納める倉でもあり、社殿は高床式倉庫に近い神明造で、社殿に垣がないため神明造の特徴を観察することができるのであるが、あたしは神の波動には興味があっても建築法にはたいして興味がないので観察はしなかったのであーだこーだ言えた義理ではないのである。

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である。祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行するつーことあるのであるが、いくらなんでも興味もなんにもないことをこれ以上解説するのはご勘弁いただきたいのであるてなことで本日のご挨拶に代えさせていただきたいのである。

さて、本日のご挨拶も滞りなくすませたところで、荒祭宮の剛気な波動をいいかげんな心がけのままうっかり受けるとうっかりなことにもなりかねないので、祟り神であるという側面をご了解の上、動画参拝の際は鎮魂魂振に勤めていただきたいのは無論のことであるのである、

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