2013年5月1日水曜日

伊勢神宮(内宮)月讀宮



月讀宮(つきよみのみや)は伊勢神宮内宮(皇大神宮)別宮で、三重県伊勢市中村町にある神社であるのである。

「月読宮」は略字表記であるのである。

月讀宮(つきよみのみや)は伊勢神宮外宮(豊受大神宮)から約3.8km、内宮から約1.8kmの五十鈴川中流域の中村町にある内宮別宮であるのである。

祭神は月讀尊(つきよみのみこと)で、「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされているのであるが、ややこしいのでここんところ間違いないようにしないと伊勢神宮マニアとしてはその評価に傷が付く由々しき事態に陥るのである。

月讀宮の宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の盛りだくさんの3社があるので、参拝の皆さんは次から次へと2礼2拍1礼を繰り返さなくてはならないので大忙しであるんのであるって誰か読んでますかー?おーい返事してくれーううむだめか全員遭難かな。

複数の社殿が並ぶ別宮は月讀宮以外では瀧原宮の2社のみで、社殿は荒祭宮以外の内宮の他の別宮と同等で、正宮に比べれば小規模であるものの、神明造の社殿がこれでもかと4社も並ぶ様は実に壮観の一言に尽きるのであるのであるとしかいいようもないのであるが、このぐらいよいしょしとけば神さまもご満足であらせられるかもしれないのであるがバチ当たるかもしれないという薄氷を踏むが如きお笑いのサガであるということもできようあたしはどこかへんなんでしょうかたはははもうやめろ?はいはい。

無駄口はともかく、向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並んでおり、参拝順序は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順が正しいとされるのであるが、無駄口とはさすがに仮にも神さまに対し奉り言いすぎようふん。

最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮であるが、おそらくお参りしてる物見遊山の皆さんはそんなこたあ知ってるわけでもないのは言うまでもないことであると思うのはあたしだけかねくそーだめだ珈琲をもう一杯飲もう。

宮域には上記別宮4社のほかに、動画の後半にご参拝申し上げる内宮末社の葭原神社(あしはらじんじゃ)があるのである。

ほかの境外別宮と同様に、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっているのであるのであるが、とくに必要でもないので授与の栄を受けることはなさらなかったのであるって日本語が変であるのである。

別宮各社殿のご祭神は、月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)、月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)、伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)、葭原神社:(祭神はいずれも田畑を守護する五穀の神とされる)佐佐津比古命(ささつひこのみこと)宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)伊加利比売命(いかりひめのみこと)であるのであるがこんなに神さまがいても覚えられるわけもないのでめんどくさい人があっさりとスルーしてしまうのはいたしかたないのであるってううむおつむが限界かな、

例によって由緒は定かではないが、第50代桓武天皇の804年(延暦23年)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞垣内に祀られていたと記されており、別宮4社あわせて「月讀宮」と呼ばれていたのであるのである。

第56代清和天皇の867年(貞観9年)に伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮の宮号が与えられたのであるのである。

第60代醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式によれば、この時代には伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮に瑞垣をめぐらし一院とし、月讀宮と月讀荒御魂宮が同様に一院となっていたとされ、1873年(明治6年)より、4社とも個別の瑞垣を持つ現在の形になったつーことであるのであるがもうやめていい?だめ?。

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があるのであるのであるのであるのであるのであるあるのであるのであるのであるのであるのであるってやけくそかよ。

さてさて、今日も明日も明後日も神社本庁本宗のほまれ高い伊勢神宮に訪れる人は引きも切らず、さすがは神社の中の神社と言わざる見ざる聞かざるの伊勢神宮の別宮月讀宮であるのである。

別宮といえども敷地は広大で、樹木生い茂る境内参道をてくてく歩けば、森林浴いい空気満喫酸素供給はもとより体力増強も含めて神社参拝のご利益の第一である健康成就大達成の香りも馥郁とあたしの鼻腔をくすぐって、波動はいやがうえにも転句の高みに限りなく膨張するのが実感できるのである。

その膨張の実感の一端木綿でもこの動画から感じ取ることができた人にはもちろん神のご利益思し召しがあらんことを天を仰いでただひたすら祈念するのみであると言っておくのである。

てなことで、本日も人生は絶好調であるのであるが、まあ、前触れもなくいつお亡くなりになるかわかったもんじゃないのも人生であるのである。

そのスリリングな道程がまた人生の醍醐味であるので、お楽しみはつきないわけであるが、ちょうどお時間となりましたので、このへんでさようなら。

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