2014年2月21日金曜日

常栄寺 ~ぼたもち寺~(鎌倉市)



常栄寺(じょうえいじ)は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院であるのである。

山号は慧雲山(えうんざん)で、「ぼたもち寺」てな通称で知られるつーことであるのである。

常栄寺は妙本寺の右手を数分歩いた路地沿いにあるのであって、これが実に楚々としている小さなお寺であるのであるが、入り口の山門を見ると思いっきり「ぼたもち寺」と書いてあるので、「なんなのかねこれは?」つーことで、カメラを回したのである。

日蓮さんは法華経を唯一の経典とし、まあ、当時は今で言う新興宗教であるので、それを広めるため、1271年頃、辻説法と称して他の宗派の批判批評てなことを言いまくってたら、当たり前であるがあちこちから反感を買ってあれこれ迫害を受けていたわけである。

そんなこんなで、しまいには敵対宗派の讒言箴言により役人にとっつかまって神奈川県藤沢市片瀬南東部にある腰越の龍ノ口の刑場に連れて行かれるつー龍の口の法難てな事件の際、常栄寺のある場所に当時住んでいた桟敷(さじき)の尼と呼ばれる媼(おうな・老女)が、胡麻の餅を捧げたことから「ぼたもち寺」いう呼び名で親しまれているつーことであるのである。

それで、その法難の際に日蓮さんの首を跳ねようとしたらば、嵐が起こり、閃光とともに刀が折れたてな嘘だかホントだかわからん種々の奇跡により日蓮が処刑を免れたつーよーな言い伝えから、その奇跡はぼたもちのせいだねきっとつーことで「御首継ぎに胡麻の餅」といわれる由来となったてなことであるが、まあ、この種の話は尾ひれに尾ひれがつくので、何が真実かはともかくとして、まあ、そーゆーことであるのである。

この桟敷の尼と呼ばれる老女は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮さんに帰依入道していたそーであるが、桟敷の尼は88歳の長寿を全うし、法名を妙常日栄といい、常栄寺の名の由来となったつーことである。

夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請され、桟敷の尼がぼたもちをささげた際に使用されたといわれる木鉢がいまも常栄寺に保管されているつーよーな大変由緒のあるお寺さんであるのである。

寺の創建は1606年で、開基は日祐法尼、開山は日詔上人で、本尊は三宝祖師であるのである。

三宝とは仏( 釈迦如来)、法(法華経)、僧(日蓮上人)であり、それをひとつの本尊としたものが三宝祖師つーのであるつーことであるが、ふーん、なるほどね、なんて不遜なことを言ってると仏罰が当たることは必定であるので、ありがたいありがたいと三顧の礼を持って帰依するのが正しい対処のしかたであるのはゆーまでもないことであるのである。

ううう、三顧の礼ではお釈迦さんも日蓮さんもあたしより格下になってしまう。

これではどこかのホラ吹き教祖と同じではありませんか。

まあ、どこの教祖かは事細かに申し上げられませんが、おの付く大法螺吹きであるのはゆーまでもないことであるのであるよあーたこれがはははだめだなこれは。

ううむ、文章がどんどんいいかげんになって、能無しの書いた文章のようになってるのである。

しまった、あたしも能無しだった。

オチが着いたところで、現在でもその法難のあったとされる9月12日に御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられ、常栄寺では当日、参拝者には緑茶と厄除けのぼたもちが振る舞われるつーことであるのである。

はてさて、この日は正月元旦であったので、緑茶もぼたもちも振る舞われなかったのであるが、まあ、本堂の前あたりで、霊がけけけと笑ったことは気にしないで、かの大法力の持ち主とほまれも高い日蓮さんを助けるぐらいの霊力をい持つぼたもちの霊験の波動をあなたの霊能アンテナでこよなく受けて、あなたの法難災難厄難を除けて頂きたい。

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