2014年10月7日火曜日

高尾山薬王院・本堂・本社(権現堂)・仏舎利奉安塔



高尾山薬王院本堂である。

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町2177の高尾山にある寺院で、真言宗智山派の関東三大本山のひとつであるのである。

薬王院本堂に至るまでの参道の男坂百八段の石段は結構な急峻で、おねーさんが途中でへばって動けなくなってるのである。

もちろんあたしは健脚が売りの修験道行者であるので、とんとんとんと男坂百八段の石段を爆走して楽勝でご来院遊ばしたのである。

誰が修験道行者だ。

ちゃんちゃん。

ううう、つまらん、死にそうだ。

本堂には開山本尊・薬師如来と中興本尊・飯縄権現が祀られているのである。

現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたもので、彩色は施されていないが、彫刻で装飾され入母屋造で堂内には護摩壇があるつーことであるが、動画でごらんの通りであるのであるのである。

ううむ、つらつらと脳裏を鑑みるに、こんな一口知識を羅列してもだーれも読んでるとは思えんが、まあ、もしかしたら物好きもいるかもしれないので、書いておくのである。



続いて、本社(権現堂)である。

本社前の石段も百段あるのである。

動画ではそれを一気に登ってるわけであるが、脚力自慢のあたしを持ってしても、この速度で登ると脚に来るのである。

神社のご利益は石段また石段というところでもあるのである。

これを毎日登ってお参りすれば、いやがおうでもご健康は成就なされるのである。

薬王院の中心となる本社で、権現堂だけに本尊として飯縄権現を祀る神社であるので、社殿の前には鳥居があるのである。

寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるわけであるが、他にはあたしの守り神である豊川稲荷が有名であるのである。

現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立され、のちの1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっているつーことであるよあーたこれがだからなんだなんて言わないでね。

本社は入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ、いわゆる権現造で、江戸時代後期の代表的な神社建築であるのである。

1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されたのであるのである。

またまた一口知識のご開陳であるが、尺を埋めてるだけなんてことを思ったりすると飯縄権現様の祟りでろくなことにならんのはゆーまでもないことであるのである。



続いて、仏舎利奉安塔である。

仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指し、「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写であるのであるが、この「梵語」というのがサンスクリットなのかパーリ語なのかは調べるのがめんどくさいので定かではないので、お好きな方は心ゆくまでお調べになってお楽しみ頂きたいのであるが、あたし的にはどーでもいいのであるのはゆーまでもないことであるのである。

この塔はあたしの故郷タイ王国から寄贈された仏舎利を祀り、仏舎利塔の前に飯綱大権現の像が建っているのである。

誰がタイ人だ。

ちゃんちゃん。

だからちゃんちゃんはやめなさい。

使い回しもやめろ。

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