2015年1月10日土曜日

大寶寺(鎌倉市)



大寶寺(たいほうじ)は、鎌倉市大町にある日蓮宗の寺院で山号は多福山で院号は一乗院であるので、正式名称は多福山一乗院大寶寺であるのである。

創建開山は一乗院日出上人(文安元年・1444年・本覚寺の開山でもある)で、本尊は三宝祖師である。

境内には、佐竹氏の守護神社の多福明神社(大多福稲荷大明神)があり、旧本山は松葉ヶ谷妙法寺(六条門流)で、通師・堀ノ内法縁である。

この場合の通師・堀之内はペーパー詐欺師の堀之内さんつーことではなく、日蓮宗の分派の名称であるのはゆーまでもないことである。

境内地は佐竹屋敷跡と呼ばれ、佐竹屋敷跡は後三年の役の後、源義光(新羅三郎義光)がここに館を構えて以来、その子孫である佐竹四郎秀義以降代々の一族が居住したと言われている住居跡である。

佐竹氏の遠祖にあたる源義光(新羅三郎義光)は永保3年(1083年)の後三年の役戦勝は、日頃から信仰していた多福大明神の加護によるものと思い込み、この地に多福神社を建てたと伝承されるのである。

その後、明応8年(1499年)に松葉ヶ谷妙法寺の日証上人により八雲神社から多福神を再び境内に勧請したつーことである。

動画で入り口から本堂に向かう途中で見える、石造りの鳥居のある社(やしろ)が多福明神社である。

ううむ、なんだ、そーゆーことであるが、ご由緒があれこれある割には、控えめで質素なお寺さんである。

まあ、雪がちらほら舞い降りて、動画が環境ビデオの様相を呈しているわけであるが、2014年元旦であるこの日は午後から大雪になって、雪の鎌倉という奇跡のような情景を数時間垣間見て、あたしの情緒もいかばかりか癒やしのうううくそつまらんやめやめ。

毎年、恒例で鎌倉に初詣に行くので、このまま行くと鎌倉の神社仏閣を網羅して、鎌倉市観光協会の手先みたいな方向性に向かっているのであるが、べつに観光協会からいくばくかのナニをナニしてるわけではないのは無論であるが、ナニをナニしてくれるというなら否やを唱える気持ちはもうとうないのはゆーまでもないことである。

まあ、まだまだ、鎌倉には大小の神社仏閣がひしめいているので、神社仏閣マニアにはたまらん聖地である。

そうはいっても、神も仏もないあたしみたいな人間が冷やかしであちこち参拝しても何かご利益があるとも思えんが、日本の将来日本の衆生のために今日も明日も御筆先としての御役目を心ゆくまで果たして徳を積むのである。

お釈迦様の教えの根本は、「悪いことをしない、善いことをする」ということであるので、これが善いことかどーかはともかく、悪いことではないかもしれないので某宗派護持会役員でもある敬虔な仏教徒としての無神論者象師匠の面目躍如であるのである。

文章がどんどんでたらめになるのであるが、こんなところで尺は足りるかね。

どれどれ。

なんなんだこれは。

怒らんといて怒らんといて。

スピリチュアル   精神世界

2015年1月7日水曜日

安国論寺



安国論寺(あんこくろんじ)は神奈川県鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院で、正式名は妙法蓮華山安国論寺であるが、名越(なごえ)は、神奈川県鎌倉市大町にある旧地名で名越切通し、名越隧道、名越踏切にその地名が見えるつーことであるが、だからなんだなんて言わないでほしいのである。

長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも呼ばれるのであるつーことである。

松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、安国論寺のある神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名であるが、まあ、別称の場合はわかりやすく地名などが多いわけである。

旧本山は比企谷妙本寺で、池上・土富店法縁つーことであるが、この場合の法縁は日蓮宗の分派門流のことである。

本尊は南無久遠実成本師釈迦牟尼仏で、創建は建長5年(1253年)で、開基開山はもちろん日蓮聖人であると言い張っているわけであるが、弟子の日朗さんが文応元年(1260年)に、日蓮さんが前執権北条時頼に頼まれもしないのに大きなお世話で建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりであるつーことであるので、正確には創建は日朗さんであるのかもしれないのであるが、そんなことを言うと宗派の偉い人から苦情が来るかもしれないので、そこはそれ、あたしもいい大人であるので、人の悪口をいうとろくなことにならないなんてことは言わずに、ここはひとつ日蓮さん創建つーことで軽やかに手を打つのである。

その他、松葉ヶ谷法難時に、白猿に導かれて避難した場所である南面窟や日朗が出家剃髪した場所で荼毘に伏して欲しいとの遺言により荼毘に付した日朗上人荼毘所があるのであるが、お時間の都合で、ご見学にはならなかったのである。

さらに、裏山の富士見台からは由比ガ浜海岸を含む市内を一望でき、日蓮さんがそこから富士山に向けてお題目を唱えたとされるのであるが、なんの意味があるのかわからんのである。

まあ、お題目をなんにもないところに向けてひとりでわめいたんじゃアホみたいであるので、パフォーマンスとしても霊峰富士のお山は最適であるかもしれないのであるが、これ以上ツッコミを入れるとマジで誰かに怒られるのでこの辺でお開きとするのである。

なお、東芝社長や経団連会長を務め、熱心な法華信者であった土光敏夫さんの菩提寺でもあるつーことであるが、土工さんの生前をご存知の方は丹田養成における南妙法蓮華経のコトタマの威力いかばかりかという、分かりやすい例である。

まあ、日本歴代の偉い人で無信心無宗教なんて人はあまり聞かないので、あたしみたいな神も仏もない人間は絶対に偉くなれないのがよーくわかるのである。

何事も神仏のお導きにより、人生の良否は決定されるのである。

神仏のお導きとはもちろん、あなたの細胞の活性度である。

その道標として象気功があるわけである。

ちゃんちゃん。

こらこら。

スピリチュアル   精神世界

2015年1月5日月曜日

安養院(鎌倉市)



安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺院で、山号は祇園山である。

本尊は阿弥陀如来で、本堂内には寺の本尊の阿弥陀如来坐像(室町時代)の背後に札所本尊の千手観音立像(江戸時代)を安置するのである。

つーことで安養院は坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所第3番札所であるのであるが、興味がまったく無いのでなんのことかまったくわからんのである。

寺号は長楽寺であるが、長楽寺は安養院の前身寺院で、1333年(元弘元年)兵火により焼失し、大町にあった善導寺に統合され安養院長楽寺と号したのである。

なお、安養院は政子の法号から取られたものである。

また、1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始まると伝えられる田代寺が江戸時代になって安養院に統合され、本堂の本尊阿弥陀如来坐像の後ろにある千手観音は田代寺にあったものであることから田代観音とも称されているのである。

ううむ、なんだな、神も仏もないあたしが神社や寺をぐるぐる回ってカメラをぐるぐる回してるのも、ひとつには神のお思し召しであろうし、ひとつには仏縁であるのである。

だからといって悔い改める兆しはさらさらないし、帰依する気配も皆無であるのである。

それでもやっぱり正月元旦は、鎌倉のあちこちの神社仏閣を巡って賽銭を投げ込んで、心にもないことを口走って、そのあと小町通りの店で食ったり飲んだりしてお楽しみなるのが毎年の恒例になってしまったのである。

てなことで、その元旦鎌倉初詣も有名ドコロは抑えてしまったので、だんだんそーでもないところを観光マップで調べたりして、ご参拝の運びと成る次第になったのである。

それで、鎌倉駅からてくてくお歩きになって、別願寺てなお寺に行ったら、墓地とふつーの民家みたいなものがあるだけで、どこが本堂なのかわからんので、さすがにカメラは回さなかったのである。

別願寺から道路を挟んで向かいに上行寺てなお寺があったのであるが、ううむこれはいかん、つーよーなご利益売り込みの張り紙が大量に張ってあるので、一応、回したのであるが、オクラ入りとなってしまったので、興味のある方は鎌倉に足をお運びになってなにがううむいかんなのか確かめてお楽しみに頂きたいのである。

安養院はううむいかんというような張り紙はないので、ぐるぐる回したのであるが、山門の真ん中に拝観料が100円と書いた箱があるのである。

これを無視するともちろん仏罰が当たるので、撮影後にお賽銭と拝観料を致し方なく払ったので、200円の出費となったのである。

仏様に対して致し方なくはねーだろ。

なむあみだむなむあみだぶ。

スピリチュアル   精神世界

2015年1月4日日曜日

大巧寺(おんめさま)



大巧寺(だいぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院である。

特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られているのである。

また、現在は単立寺院であるため本山を持たないわけであるが、旧本山は、鎌倉市大町にある比企谷妙本寺である。

大巧寺はもともと大行寺(だいぎょうじ)と称する真言宗の寺院で、当初は鎌倉市十二所の梶原景時の屋敷内にあったのである。

創建年や開山などは不明であるが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測されるつーことであるのである。

この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名したのであるが、呼び名はそのまま「だいぎょうじ」となったわけである。。

まあ、詳しい経緯は不明であるが、文永11年(1274年)、大乗坊日澄により日蓮宗に改宗し、これに基づき現在では開山を日澄としているのである。

この大乗坊日澄は、鎌倉時代中期から後期にかけての日興門流の僧である寂仙房日澄(1261年-1310年)とは別人である。

その後、元応2年(1320年)2月に現在の鎌倉市小町へ移転したのであるつーことである。

天文元年(1532年)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれ、この伝承が広まって以降、安産祈願に霊験のある寺として知られるようになったつーことである。

現在では大巧寺は別名「おんめさま」と呼ばれ、安産祈願の寺として知られているのである。

「おんめさま」とは「お産女様」(おうめさま)が訛った言葉で、境内に祀られている「産女霊神(うぶめれいしん)」を指すのである。

まあ、てなことであるが、大巧寺は鎌倉駅を出てすぐの好立地にあるため大人気の寺院であるつーことである。

しかし、このロケを行った日は、正月元旦であったので、ものすごい数の初詣の大群衆の皆さんは鎌倉駅を降りると一目散に段葛から鶴岡八幡宮にご参拝なされるので、大巧寺境内には人っ子一人だーれもいないのである。

大群衆の皆さんは鶴岡八幡宮参拝が終わると小町通りを通って鎌倉駅にご参集なされてご帰宅なされるので、やっぱり大巧寺にはだーれも来ないわけである。

これでは檀家を持たない大巧寺の経済状態はいかがなものかとご心配申し上げるわけであるが、もちろん大きなお世話であるのである。

まあ、つまり、初詣よりも安産祈願で日々ご参拝ご祈願のあれこれがあれこれするので、境内の様子を見てみるとそれなりにあれこれしているわけであるとご推察申し上げるわけであるが、ご住職に「ほんとのところはどーなんでしょーか」とお聞きしたわけではないので、全く定かで無いのは論を俟たないところであるのである。

これから、ご家族ご親族にご出産のご予定のある信者の皆様方には、大巧寺にご参拝なされておうめさまのご利益を心ゆくまでご堪能なされることを心より祈念いたしまして新年のご挨拶といたしたいのである。

スピリチュアル   精神世界