2015年3月31日火曜日

福泉寺(熱海市)の首大仏



湯河原温泉街の千歳川沿いにある曹洞宗福泉寺の首大仏である。

千歳川は神奈川県と静岡県の県境にあり、福泉寺は静岡県側であるので、住所は静岡県熱海市泉191であるのである。

それで、まあ、首大仏とはいうが、首から上だけというわけではなく、胸から上の部分であるので、本来なら胸から上大仏と呼ぶのが正しいのであるが、どこの観光案内を見ても首大仏となっているのである。

寺には無料駐車場も完備されているので、そこに停めてじっくりと首大仏をご見学なされてよろしいわけであるが、別に観光客はおられなくて、自転車でこられた地元のおばさんが墓参りをなされておられたのである。

もちろん、地元のおばさんであるから、首大仏をご見学をなされることはなく、本堂にお参りしてから、手桶に水を入れて墓地の方向に歩いて行かれたのである。

もちろん、あたしは古今未曾有の大霊能者といえども、ここに先祖代々の墓があるわけでもない一般の観光客の扱いであるので、墓参りをせずに首大仏をご見学遊ばしたのである。

この首大仏は陶器製で、尾張藩の第2代藩主で名古屋城主徳川光友(とくがわ みつとも、寛永2年7月29日・1625年8月31日- 元禄13年10月16日・1700年11月26日)が、尾張藩の初代藩主で尾張徳川家の始祖である徳川義直(慶長5年11月28日・1601年1月2日-慶安3年5月7日・1650年6月5日)の側室であった母である歓喜院(法名)を弔うために造ったものであるつーことである。

この首大仏は、もとは名古屋城内にあったのであるが、戦後になってこの地に移されたつーことで、その他にも涙なしでは語れないご由緒伝説伝承が多々あるのであるが、めんどくさいので各自でお調べ頂いて「ほほう、そんな言われがあるのか、すごいなー」あるいは「んな、アホな」と感涙に咽んだり爆笑したりしてお楽しみいただきたいのである。

そんなこんなで胸から上大仏ならぬ首大仏をこれでもかと参拝ご見学なされたわけであるが、実に愛嬌のある大仏であるので、首大仏という恐ろしげな名称から想像されるイメージとはかけ離れためでたい波動を醸し出しているので、そうとうに臆病なスピマニアにも安心してご供養いただけるのである。

それでも、怖いという人には、あたしが「怖いの怖いのとんでけー」とやってあげるので、ここは一発勇気を出して、首大仏というの名の胸から上大仏をご拝見して、心から「ありがたいありがたい」と念じれば、あなたの脳波は穏やかな曲線を描いてニルヴァーナ涅槃の彼方へあれこれするのである。

たはは。

たははって。

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2015年3月28日土曜日

貴船神社 (真鶴町)



貴船神社(きぶねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡真鶴町にある神社である。

創建は人皇第59代宇多天皇の寛平元年(平安前期889年)6月15日という大変由緒ある立派な神社であるのである。

主祭神は大国主神・事代主神・少彦名神で、ご利益は開運招福・縁結び・交通安全である。

社伝では、寛平元年(889年)、三ツ石(真鶴岬)の沖に現れた木像12体と書状を社家平井家の祖先が発見し、社殿を建てて村の鎮守としたのに始まるつーことで、現在鎮座1105年を向かえておりますと言い張っておられるのである。

さらに、江戸時代までは「貴宮(きのみや)大明神」と称するなど、キノミヤ信仰が顕著だったのであるが、その後、明治元年までは「貴船大明神」と称し、氏子並びに近郷の人々より厚い信仰で結ばれていたのであるつーことであるが、明治元年(1868年)に貴船神社に改称したつーことである。

なお、貴船神社という社名については、京都市の貴船神社からの勧請ではないつーことであるので、この神社関係者氏子の皆さんの独自の命名による社名であるわけであるが、まあ、海に面した神社であるので、船を基軸とした社名になったのかどーなのかてなことは、神主さんが常駐しておられないので聞くわけにもいかず、定かではないのである。

また、旧御本殿は、現在の本殿の左側に旧本殿があり、現在は「祖霊社」として氏子の皆様の祖霊を御祀りしています。その並びには、石材関係者や商工業者等が奉賛する「山神社」 があり、境内にはその他に「参集殿」・「神輿舎」があり、本殿に向かって右側には今上陛下の御大典記念事業の一つとして本町産出の本小松石作りの「厄除厄祓門」と日参三千日を記念する「心願石」をはじめ北海道産の「さざれ石」などが配置されているのであるが、動画的にはきりがないので割愛させていただいたので、あしからずご了承いただきたいのである。

当神社の有名な例祭「貴船まつり」は、昭和二十三年に神奈川県指定無形文化財に指定され、古式にのっとり毎年七月二十七日・二十八日の両日に行われ、境内に陳列されている神輿を海上渡御する壮大なお祭りで、古くから「日本三船祭」として名高く、県内はもとより全国より押すな押すなの観光客参拝者で、この町も怒涛の大賑わいとなるつーことであるが、もちろんあたしはテレビのニュースの各地ネタで見たぐらいで、現場をご覧になったわけではないのである。

鳥居を潜り初の石段より御本殿迄の石段数は「108段」で、仏教でいうところの煩悩の数とちょうど同じ数であるつー事で、こじつけだなんてことを言わずに、当社では一段一段踏み祓う「禊(みそぎ)の石段」と称し、氏子の方のかなりの御高齢な方でも、また赤ちゃんを抱きながらの初宮詣においても、直接御本殿境内まで車の乗り入れが可能な現在でも、この石段をお昇り頂く姿をよくお見かけするつーことである。

もちろんあたしは車を石段下の郵便ポストの前に停めて登ろうと思ったら、鳥居の前の郵便局の職員のおねーさんが郵便物を取りに来たのである。

「あ、すいません、邪魔ですか」と聞いたら、「大丈夫です、でも、郵便局の裏から車で境内まで行けますよ」とご親切に教えて頂いたので、「ああ、そうですかー、それは楽ですねー、ありがとうございますー」とお礼を申し上げて、無視して石段を豪快に登ったのである。

それで、一気に登って、参拝して、境内から相模湾を垣間見せて、石段下の鳥居を望む景色もとれ高としたのである。

神社のご利益はなんといっても石段であるのである。

ありがたいありがたい。

かんべんしてくれよ、もう。

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2015年3月24日火曜日

成田山新勝寺釈迦堂



成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院であり、宗派大本山のひとつである。

本尊は不動明王で、関東地方では大人気の寺院である。

また、成田空港に近いことから、外人観光客の皆さんもたくさん訪れるということであるが、この日は外人さんではなく、はっきりとは申し上げられない黒づくめにサングラスといったわかりやすいファッションの不動明王より怖い顔のおじさんと奥様らしきご婦人が、さらに仁王様より怖い顔のおじさんやおにーさんに囲まれて手水舎でお清めになられてご参拝なされていたのである。

もちろん、そのご様子を撮影したいなんてことを願い出たら、あれもこれも危険が危ないので撮影はご遠慮申し上げたのである。

まあ、日々、トラブルイズビジネスの切った張ったをご商売とする皆さんであるから、安全祈願及び商売繁盛の御祈願は当然であるが、昨今の条例でこの手の皆さんのご祈祷を受け入れるのかどーなのかは方丈の腹一つなのかどーなのかは聞いてみたわけではないので定かではないのはもちろんである。

まあ、そんな浮世の無駄話はさておいて、新勝寺の本尊は不動明王であるが、もちろん仏教の寺院であるので、お釈迦さんの教えを広めることが本来のお役目であるから本堂の隣に釈迦堂があるわけである。

しかし、仏教開祖のお釈迦さんが本堂の脇の楚々とした釈迦堂に祀られ、大昔のホラ吹きのパ~がでっちあげた妄想架空の存在である不動明王さんがでかい大伽藍の本堂に祀られているのはいったどーゆーことなのかどーなのかこーなのかとゆーよーなご意見もないではないと思うが、そこはそれ、大人であるあたしが口を極めてののしる筋合いではないのであるのは無論の大きなお世話であるのはゆーまでもないことである。

まあ、不動明王がお釈迦さんの化身であるてな言いわけもあるとは思うが、それなら、化身よりも本身であるお釈迦さんを本堂に祀り、脇に不動明王堂てなものを置くべきであるなんてことを言っちゃあ身もふたもないので思っても口には出さずに書いてしまうわけである。

まあ、昨今の宗教学者のご研究ではお釈迦さんもクライストさんも政治的なでっちあげであるてなご意見もあるので、それをインフラとすればどちらを優先すればいいのかはなんとも言えないところである。

誤解しては困るがあたしは在来仏教某宗護寺会役員で、数年前には檀家総代も務めた敬虔なる仏教徒であるので、けっして日本の仏教のありようを批判云々しているわけではないのである。

しかし、あたしは真言宗でもなく浄土宗でもなく曹洞宗でもなく臨済宗でもなく天台宗でもなく華厳宗でもなく時宗でもなく日蓮宗でもなく、言ってみれば釈迦宗であるので、お釈迦さんをご本尊として、その教えをこれでもかと実践する修行者であるわけであるが、そのあたりがたーい教えは、神の電波によりおつむのお花畑にビビビと交信するので、さすがに心配なので一度入院した方がいいかもしれないのである。

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