2015年11月20日金曜日

大國魂神社の酉の市



東京都府中市に鎮座する大國魂神社の祭礼の酉の市である。

この酉の市は、浅草の鷲神社、新宿に花園神社と並んで関東三大酉の市のひとつである。

この日の11月17日火曜日は二の酉である。

つまりこの神社の酉の市の二回目つーことであるが、見物客や熊手を買いに来たご商売や企業の皆さんで大賑わいである。


まあ、神事であるので、「買いに来た」と言う言い回しが適切かどーかはともかくとして、数軒ならんだ熊手屋さんの前では手拍子も鮮やかに華やかなことこの上ないのである。

それで、熊手を見てみると、売約済みの札にはあたしの関係の会社の名前も見えたりして、科学万能この時代でも、商売や仕事には神頼みが必要であるらしいということがわかるのである。



それで、まあ、本来は酉の市は本殿の脇にあるこの大鷲神社の祭礼であるので、その社(やしろ)にも灯りが入って、なかなか趣があるのである。

あたしも皆さんに混じって、ありがたいありがたいとお礼を申し上げたのである。

いつも言うことであるが、神様に願い事は禁忌である。

神様は願い事をされるのが大嫌いであるので、無視されるか神罰を以ってそれに答えられるのである。

神様にはひたすらお礼を申し上げるのが正しい作法である。


それで、ぐるぐる周って腹減ったので、テーブル席のある屋台で呼び込みしてるおねーさんに誘われて、席に座って、焼き鳥ともつ煮を頼んだら各600円で合計で1200円である。

唐辛子の瓶と比べるとわかるが、もつ煮の器がすんごく小さいので、これが出てきたときはあーらびっくりねと爆笑してしまったのである。

しかしこれが、食ってみると量はそれなりであるので、もう少し大きな器にすればあーらびっくりねをされなくてすむのではないかというご提案を申し上げておくのである。

もちろん大きなお世話である。



本殿入り口の中雀門の脇にある神楽殿では、国指定重要無形民族文化財である江戸の里神楽(山本頼信社中)の上演されているのである。

この動画で演じられているのは、式三番のうちのいわゆる三番叟の一部である。

始まってまもなく、雨がぱらつき始めたので、いたしかたなくロケは中止して走って車に戻ったら、雨は上がったのである。


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2015年11月11日水曜日

日光二荒山神社



栃木県日光市に鎮座する日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)である。

勘違いしておられる人も多いと思うが、「ふたあらさん」ではなく「ふたらさん」であるのである。

正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と呼ばれ、古くは「日光三社権現」と称されたつーことであるが、まあ、細かい事情はともかく、立派で豪壮な神社であるのである。

どなたもご存じではあると思うが、「日光の社寺」の1つとしてユネスコの世界遺産に登録されているのである。


主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこね)の三柱で、それぞれ日光三山の一山にあてられ、三神は総称して「二荒山大神」と称されるのである。

まあ、つまりは東照神君家康公の御霊を守るためにいろいろな神様を招請したもと考えられるわけであるが、いろいろな神様を家来として周囲に配したとも言えるわけである。

これらの神々は仏教隆盛時の神仏習合思想による本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)からこじつけて、順に、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の仏があてられ、父、母、子という関係までセットアップして、現在でも輪王寺(位置)ではこれらの仏を祀っているのである。

つまりは、前述の象気功的解釈によれば、神様と仏様を家来として配したとも言えるわけであるが、まあ、もともと日本には八百万の神々がおられるので、仏教から多少の仏さんがご参加なされてもたいしたことでもないということであるかもしれないのである。


10月終わりの参拝当日は本殿前には茅の輪が設えられ、この茅の輪を3回くぐると良縁に出会うというので、あたしもとにかく3回ぐるぐるとくぐったのであるが、未だに、これと言って良縁には出会えないのである。

まあ、軽やかに決まった自虐ネタはともかくとして、象気功の真骨頂は「氣の身体に変える」ということである。

その入り口のひとつが神社仏閣の霊氣神氣を受け、それを体内感覚として実感することである。

霊氣神氣は受けようと思わなければ一生受けることができないのである。

その感覚をつかむことが、脳が物質の波動をつかむことにつながるわけである。

良い波動をつかめば、波動あるいは振動としての存在である人体はその影響を受け、その波動が良い方向に修正されるのである。

運気あるいは健康状態の良し悪しは、波動の良し悪しであるとも言えるのである。

その良い波動を高めるために神域あるいは霊場巡りを慣行するわけであるが、慣行ではなく観光になってしまっている節もある昨今であるのである。


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2015年11月10日火曜日

日光山輪王寺大猷院



日光山輪王寺大猷院は徳川三代将軍家光公の廟所(墓所)である。

日光山輪王寺は天台宗門跡寺院である。

本尊は阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音で、創建は天平神護2年(766年)である。

大猷院の境内には世界遺産に登録された22件の国宝、重要文化財、さらには315基の灯籠などの見どころ満載である。

また、「家康公(東照宮)」を凌いではならないという家光公の遺言により、建物の装飾は金と黒を使用し、東照宮に比較して、あたしにもわかるぐらい重厚で落ち着いた造りになっているのである。


それで、いざ上の写真の仁王門から石段を登り始めて、修復中で天幕のかかった残念な二天門、夜叉門と、次々とくぐると、これがなかなか舐めては行けない段数であるのである。

さすがの霊能界の体力王を自負する象師匠も、霊のタタリよりも前日にご宿泊なされた鬼怒川温泉の某ホテルの夕食バイキング飲み放題の酒のタタリで、途中から息が切れて、さらには、スマホのストラップの音がカチカチ入って、わけのわからないロケとなったまま堂内に突入したのである。

絢爛豪華な堂内はもちろん撮影禁止であるので、動画は主に石段登りのロケとなったのであるが、まあ、二日酔いで霊氣神氣のご利益があるのかどーかはなんともかんとも言いようもないのである。

まあ、それもこれも仏のお授けであるので、ありがたくおすがりしてなむなむしていただければ、あなたのアストラル体は瞬時にこの大猷院霊場にいざなわれ、清冽な波動を受けていやがうえにも高まることは必定である。



さて、その日光山輪王寺参拝のもうひとつのハイライトは、日光山随一で、東日本では最も大きな木造の建造物である総本堂の三仏堂である。

しかし、あいにく50年ぶりてな「本堂平成大修理」の最中で、やむなく伽藍を覆う素屋根の外側の天幕に書かれたお姿をなむなむすることになったのである。

しかし、拝観料を払って、撮影禁止の素屋根の内部に入れば、本尊を始めとして、宝物の数々をじっくり間近で拝むことができ、さらには「天空回廊」と名付けられた展望見学通路の階段を登れば、大修理の様子をご見学できるということである。

もちろん、「周囲の状況に合わせてテキトーに生きる」という釈迦の教えを実践する敬虔な仏教のあたしは、チケット売り場で大枚400円を軽やかにお支払いして、本尊である日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)の高さ7.5メートルの三体の大仏さまの皆さんをくまなくなむなむして、大工さんたちの活躍の様子もご見学あそばされたのである。


上の写真の右側が日光山輪王寺本堂三仏堂で、奥が日光東照宮である。

まさに霊氣神氣の交差点であるのである。

彦麻呂かよ

ありがたいありがたい。

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2015年11月7日土曜日

日光東照宮



まあ、説明するまでもないとは思うが、日光東照宮は栃木県日光市に鎮座する、まあ、言ってみれば日本で最も有名で人気のある神社である。

主祭神はもちろん徳川家康公であり、相殿には豊臣秀吉公・源頼朝卿が祀られているのである。

創建は江戸時代に入ってからとはいえ、元和3年(1617年)であるから、なんだかんだでかれこれ400年前であるのである。

もちろん、世界文化遺産であり、国の史跡に指定されいるのである。

境内のそこかしこは、国宝・重要文化財の博覧会である。

うまいねどうも。


日光東照宮については今更あたしが説明することもないぐらい、どなたもご存知であるが、関東地方では小学校の修学旅行が定番であるので、修学旅行時期真っ盛りのこの日も小学校が押すな押すなでバスを連ねてご到着である。

まあ、学校間ではそれなりにスケジュール調整はしているとは思うが、それでも、とんでもない騒ぎである。

その小学生に混じってあたしも押すな押すなで日光東照宮のメイン観光スポットである陽明門にご到着遊ばしたら、ちょうど工事中で天幕がかかっていて、ご見学できないのである。


実はあたしは幼少のみぎりに重度の喘息の持病があったために、それを心配した担任教諭のご意見で日光修学旅行はご辞退申し上げざるを得なかったのである。

その後、神のお告げで重度の喘息が完治してしまったので、数十年遅れて今回の念願のの日光東照宮修学旅行となったわけである。

そんな事情もあって、小学生と混じって引率の先生の「ここから270段の石段がありますから!登れる人は行きまーす!」てな雄叫びを聞きながら二百数十段の石段を軽やかに登ると、感激で涙も溢れてくるのであるが、元気な小学生の大騒ぎといっしょに、何がなんだかわからないまま奥宮拝殿から奥宮宝塔にご到着あそばされたのである。


日光東照宮のご紹介を兼ねて、参拝の模様をノーカットで放送しようと思ったのであるが、建物内部は撮影禁止であるし、いかんせん尺が長過ぎるので、あちこちカットして、それでもこの大作となったのである。



それで、無事、御宝塔でなむなむして参拝を終えて、境内の神厩舎の見ざる聞かざる言わざるの「三猿」を拝み倒していたらば、突然、神厩舎の裏側から神馬(しんめ)である白馬が現れたのである。

どうも、お馬さんのご飯の時間であるらしいのであるが、やはり神の使徒象師匠ならではの神の采配による巡り合わせであるということで無理やりこじつけておくのである。



日光東照宮御仮殿である。

御仮殿は、東照宮の本社の修理中、一時的に御神体を安置しておく仮の御殿ということであるつーことであるが、このように常設されているのは東照宮だけであるつーことである。

現在の社殿は寛永16年(1639年)の建立であるつーことである。


入り口に「特別公開中」と書いてあるので「ううむ、なんと特別に公開中では見に行かねば今後の人生に悔いが残るではないか」と見に行ったらば、拝殿の門が閉まってたのである。

いずれにしても、御神霊の波動は宿り、それを受けてあたしの波動を高まり、さらに霊能者としての能力は高まるわけである。

なんでも良い方に考えれば波動は良い方に高まるのである。

ありがたいありがたい。

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2015年11月3日火曜日

榛名神社



群馬県高崎市榛名山町の榛名山にある榛名神社(はるなじんじゃ)である。

赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社である。

主祭神は火の神・火産霊神(ほむすびのかみ・カグツチ)と土の神・埴山姫神(はにやまひめのかみ・ハニツチ)で、水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合せ祀るのである。


これが行ってみると平日であるにもかかわらずの大混雑で、無料駐車場という名の帰りにおみやげを買わなければならないおみやげ屋の駐車場も満員状態で、そこから歩き始めたら、これが、行けども行けどもハイキング状態が続いで、動画の途中でも「心臓が痛くなる」と嘆いておられるおばさまもおられるぐらいの長い登坂路で、あまりにも動画が長くなり過ぎたのであちこちカットして、主に神社ご利益の石段登りを中心の編集となったのである。


歩き始めて二の鳥居を過ぎると、随神門(国指定重要文化財)にご到着あそばされるのである。

榛名神社は本殿も含めて国指定重要文化財のオンパレードであるので、じっくりと拝見して、悠久の歴史に身を委ねて、細胞を心ゆくまで緩めることがあなたの氣を高める法となるのである。

ううむ、榛名神社の神氣を受けて筆の運びもなかなか快調である。


神社参拝の楽しみはなんと言っても石段登りであるので、これが長くて急であるほど楽しみは倍加して、「ああ、今日も元気だ、氣が湧く氣が湧く」と実感できるゴールデンタイムであるわけである。

まあ、石段を登ることは、効率的な足腰の筋力強化と心肺機能の強化をもたらし、さらには、効率的に細胞を活性化させる氣が湧くのである。

まあ、そのために神社を山の上に造ったわけではなかろうから、結果論ではあるが、仏教の千日回峰や修験道のカリキュラムなどを鑑みても、実に神氣を得ることに正しい法であることがわかるのである。

ちなみに、上の写真石段の上は双龍門(国指定重要文化財)である。


榛名神社の創建は用明天皇元年(586年)であるから、古くから信仰を集める由緒のある神社であるわけであるが、現在でも周囲の奇岩と、上の写真の本殿に落ちてきそうな御婆岩と言う名の大岩がテレビ番組などでも取り上げられて大人気である。


本殿に向かって左脇には、慶長年間(1600年頃)に建てられた国祖社(こくそしゃ)と、文化11年(1814)にその隣に増築する形で建てられた額殿(がくでん)があるのである。

榛名神社太々神楽講の人々が参拝に訪れた際、神代神楽が奏上されるときに神楽を見るために座敷が設えられる場所である。

太々神楽講は他に天河神社太々神楽講が有名である。

その太々神楽の奉納額が内外に掲げられていることから額殿と呼ばれているのである。


さらにその額の皆さんをアップでご覧頂くのである。

だからなんだと言われても、額殿であるので、額をご覧になって「おお!、これが多々神楽の額の数々か!」と感動にむせんで嘘泣きしてもらえれば、あたしも大いに満足であるのである。

ううむ、飽きてきて文章がいい加減になってきたのである。

まじめに読んでる信者の皆様には大変もーしわけないことであるので、ここはひとつ気持ちもあそこも引き締めて筆先を翻すのである。

翻らないかもしれないが、まあ、その、なんである、あれだよ、まあ、いいじゃないの。

しまいに怒られるのである。


同じ境内にある神楽殿と、その背後の奇岩である。

まあ、古代の人はこのような奇岩を造られた八百万の神の大いなる力を畏敬して、ここに神を祀ったわけであると思うが、それもこれも含めてあたしのような神に選ばれし真性霊能者には、ただただこの膨大な神気霊気に身を包まれて細胞の奥底の何かが喜ぶのを味わうわけである。

お前はびょーきか。



本殿下にある暦抒楓(れきじょふう)と瓶子(みすず)の瀧である。

暦抒楓(れきじょふう)というのは、動画の瀧の前にみごとに紅葉している樹齢数百年を経た楓である。

それもこれも含めて、この動画参拝によりあなたのアストラル体を榛名神社拝殿前にいざない、その強烈な霊気神気を受けて、全身60兆の細胞の修復・活性化の糧としていただきたい。

祓い給へ清め給へ守り給へ幸え給へ。

ありがたいありがたい。

てなことでひとつ。



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