2018年1月24日水曜日

鎌倉宮



鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある護良親王(もりながしんのう)を祭神とする神社である。

正月の3日に鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に初もうでに行ったついでに立ち寄った荏柄天神社のついでに立ち寄った鎌倉宮である。

とにもかくにも、初もうでのネタであるので、撮ってきたものは1月のうちにアップしたいわけである。

ついでのついでてな言い草は祭神の護良さんに対してたいへん不遜極まりないあれこれであるが、まあ、初もうで自体が鎌倉で刺身を食いながら酒を飲むついでのお楽しみであるので、八幡宮参拝自体もついでといえばついでということになるのである。

鎌倉にご在住の神様には大変失礼な話であるが、神様よりも刺身と酒が目当てなんだからしょーがないじゃん。

ひどい霊能者である。

まあ、いうなれば実存主義の霊能者ということであるが、あたしの場合は実存主義というよりも現実主義というのか世俗主義というのか、飯と酒の実存が中心という主義である。

どーせ、あたしもあなたも、遅かれ早かれどうあがいても死ぬわけであるので、食わずに死ねるか飲まずに死ねるかという、その場かぎりの享楽主義といってもよろしいわけである。

最低である。

それでも、120歳まで生きて、この世の行く末を拝見するために、あるいはDMA遺伝子操作で人間が死なない時代が来るのを期待して、老化の原因であるAGE終末糖化産物を減らすべく糖質炭水化物を極力避けて、こよなく大豆製品中心の食生活をしたためる今日この頃である。

「したためる」の用法がまったく違っていると思うが、いつも言う通り象気功関連はなにごともライブであるので、そのまま行くのである。

糖質制限ダイエットてなバカげたことを長期にわたって続けると3割寿命が縮むというデータもあるそうであるが、まあ、もちろん、糖質も重要な栄養素であるので、そこはそれ神のお導きの範囲内でこよなく摂取するのは象気功の中心タームの何事も「やらないよりはマシ」の精神をつらぬくあれこれそれこれである。

あたしの好むおにほんしゅはじょーぞーしゅであるので、こよなく糖質を含んで、あたしの糖質摂取の要ともなっているわけである。

最近のマイブームは獺祭であるが、鎌倉に来たら、もちろん地元の鎌倉栞である。

ううう、思いっきりくだらん。

まあ、それはともかく、先日、おおむね50年後を想定する映画を見てたら、登場人物が分厚いタブレットと思しきもので、新聞や雑誌を読んでる場面が出てきたのである。

これもう、あたしでも現在その生活で、お買い物もタブレットである。

どちらかといえば文明の波に乗り遅れてる我が家も、お掃除はほとんどロボット掃除機まかせだし、もちろん風呂も自動であるし、トイレも自動であるし、そのヒーターも人感センサー付きで自動であるし、照明も人感センサー付きで自動である。

自動車の自動運転も、もう数年後には実用に供されるのは目に見えているので、数十年あるいは100年かかると想像されたことが数年で現実となっているわけである。

SF作家の想像をはるかに超えて科学は急上昇放物線の進捗で、先日、久々に銀行に行ったら、引き出しや預け入れや送金や入金や支払いはATMだけで、受付のカウンターがなくなって、ご相談のカウンターだけになってるのである。

まあ、あたしも普段の取引はすべてネットバンキングだけで、あとはそのへんのATMで引き出すだけであるので、銀行に行くこともないので、その変わりようにあーらびっくりねである。

数年前に青色LEDでノーベル賞とかなんとか騒いでいたのが、すでにあたしの家も仕事場も照明は全てLEDである。

このままなにごともなく文明が進めば、早晩、本当に人間が死ななくなる時代が来ないとも限らない様相である。

しかし、ところがぎっちょん、世界のいたるところであいもかわらずじゅうげきだのほうげきだのばくげきだのじばくだので目も当てられないもめごとが絶えず、いつなんどき日本の終わり世界の終末が来るとも限らない状況も垣間見えて、人間の文明と人間の英知は同時に進歩するわけではないということが、神のご意思であらせられるわけである。

ありがたいありがたい。

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